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つきのあかり


極私的名盤 選集
by ukulele617
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極私的名盤選集 4

もどり道  井上陽水

極私的名盤選集 4_d0165598_2345123.jpg
1. 夏まつり
2. いつのまにか少女は
3. 紙飛行機
4. あかずの踏切り
5. たいくつ
6. 人生が二度あれば
7. 帰郷(危篤電報を受け取って)
8. 感謝知らずの女
9. 愛は君
10. 東へ西へ
11. 家へお帰り
12. 傘がない
13. 星(終りのテーマ)
14. 夢の中へ

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陽水の音楽は郷愁を感じます。

ラブ・ソングを歌っても、色で云えば「真っ赤」なんかでなくて、淡い水色。

それぐらい、さらっと聴けてしまう。

だから、切ない曲もないし、歌詞もはっきり云って意味不明なのが多い。

それなのに、レコードが本当にひん曲がるくらい聴いたのがこのアルバム。

おそらく自身の所有している、あらゆるジャンルのレコードひっくるめて

一番聴いたアルバムではないかと思います。

当時、小学高学年で毎日学校から帰ると、日課のように聴いていました。

この頃の、陽水はまだサングラスなどしていなくて、

凄く、シャイで口数の少ないミュージシャンでした。

ライブの途中少しMCもあるのですが、もごもご話しているのですね。

陽水の略歴をみると、当時は受験に失敗して、売れないカンドレ・マンドレからの

脱却時期で、とにかく暗いのですね。

でも、楽曲は子供でも夢中になるくらい分かりやすいものでした。(夢の中へなど)



このライブ音源は、1973年4月14日の新宿厚生年金会館のもの。

コンサート名は「陽水リサイタル」

なんと小ホールでの収録でした。

当時、 ライブアルバムとしては日本最高売上枚数を記録 しました。




「東へ西へ」という曲は、初めてギターで弾いた楽曲でした。

Am⇒Em⇒Am と繰り返すのですが、それをするとレコードと同じ音が出てきます。

おっ!俺って天才かも。。。!って思わせてしまう、簡単なコード進行でした。

そうなってくると、人前で弾きたくなって仕方ない。

家族や、親戚や、友人や、目標はもちろん女の子の前で弾いてモテルることでした。

小学生のある時期、若い男子教師が教育実習にやってきました。

約2週間の実習が終わると、すっかり生徒たちと仲良くなっていますよね。

で、お別れにギターで歌を歌ってくれることになりました。

「夏の想いで」  【夏がくぅ~れば、おもいだすぅ~。。。というあの曲です】

これを聴くと今でも切ないのですね。

まわりが、結構ウルウルしていましたから。

ギターを小道具にして、クラス一モテルという策略が、

脆くも崩れ去りましたね。



それからというものの、ギターを猛練習し、テクニックに磨きをかけた少年は

少しは注目を浴びることができました。

ただし、男友達ばかりでした。。。。

当時、物狂おしいまでに憧れていた女の子がいたのですが、

当然、気持ちなんか言いだすことはできずに、中学~高校と持ち越します。

高校生になると、別の女の子と少し付き合う機会もあったのですが、

心の片隅で、ずーっと気には、なっていたものです。


大人になってから、お酒も飲むようになり、ピアノバーみたいなところへ

女友達と行く機会がありました。

当時はやりの、グランドピアノをテーブル代わりにして飲むバーでした。

偶然だったのでしょうか、子供の頃にずっと憧れていた女の子(女性)

が目の前でピアノを弾いていたのですね。

その後は、同窓会で一度会ったきりです。



陽水は近年「少年時代」というヒットを生みましたが、

この曲のイメージも影響してか、私にとっての陽水は郷愁的ノスタルジーを感じます。


少年時代は田舎の自然と、少し気恥ずかしい青春の

甘酸っぱい香りとがない交ぜになった、

まるで、夢幻のようなものでしたね。
# by ukulele617 | 2010-06-12 23:21 | J-POPS

極私的名盤選集3

この夜にさよなら 甲斐バンド

極私的名盤選集3_d0165598_10532088.jpg

1. 最後の夜汽車
2. そばかすの天使
3. きんぽうげ
4. ブラッディ・マリー
5. この夜にさよなら
6. 8日目の朝
7. くだけたネオンサイン
8. スウィート・キャンディ
9. 夕なぎ
10. 氷のくちびる
11. 円舞曲(ワルツ )


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ひとことで言えば、青春の飢餓感なんですね。
冒頭の、「最後の夜汽車」からもう興奮が抑えられません。
雨の降る夜の、都会の、孤独の、切なさの、
もっと言えば、繁華街の街角の、薄暗い店の、汚れた窓に滲む景色の。
なんとかして世の中に出たい、自分の力は偉大だと認めさせたい、
でも、どうしてよいか解らない。ダメになるかもしれない。

ギターケースに夢を詰め込み福岡からの上京でした。
デビューのきっかけは、フォークコンテストでしたが、音楽性や方向性は
もう少し異質なもので、あったと思います。

『新宿』という歌は当時の甲斐よしひろのリアルな体験です。
(ガラスの動物園:収録)

残してきた恋人から手紙が来て、
「あなたを温めてくれる、町の生活はどんなものか教えて」と記されています。
痛い手紙ですよね。
都会に来てみたものの、力一杯の空回りばかり。
都会は、どぶ川に真っ赤なバラを刺した吹き溜まりと、彼女に伝えます。

今のようなインターネットのない世の中でしたから、人から情報を得る為には
深く付き合い、お酒や、時間や、気持ちを費やした時代でした。

コンパクトで、スピーディな世の中になったものです。
その反面、情報は溢れるぐらい、浴びるぐらいに垂れ流されています。
選択するのは、目利きがいるくらい難しいです。

甲斐よしひろは、変わりゆくことが望みであったそうです。
実際デビューアルバムの「ライムライト」(1974年)とセカンドの「英雄と悪漢」(1975年)では
ずいぶん印象が違います。
静かな、フオ-クから、もっとアクの強さのある曲調が増えました。
それに入りきらないのが、「ガラスの動物園」(1976年)に続いた感じでしょうか。

ほぼ一年ペースで1977年4枚目の「この夜にさよなら」がリリースされています。
発売当初は聴いていません。
次の年に発売された、「サーカス&サーカス」を友人が持っていて、
その中の、『裏切りの街角』に衝撃を受けました。
メロディーと歌いやすさ。
歌詞の意味なんかは深く考えずに、ああ、いい曲だなと良く歌っていました。

ところで、「裏切りの街角」という映画は知っていますか?
(1949年のバート・ランカスター主演のフィルムノワールの古典)
甲斐よしひろは、フィルムノワールに随分影響を受けていて、
よく曲の題在としていますよね。(男と女のいる舗道 等)

そういうこともあって、自身もゴダールやフェリー二など多くの映画を見ました。
学生であった、この頃に、『最後の夜汽車』を初めて聞いています。

これを聞いた当時、歌詞の中の

「僕が、寂しいって言ったら、あの人はバカねってそっと微笑った。
頬に優しく手をやりながら、僕しかいないって、言ってくれた」

はどうしても、年上の女性を憧憬してしまいます。
甘美な響きですよね。

4番目の歌詞の「白い月の裏側で。。。。」の所を歌う時、
ライブでの甲斐よしひろは背中を向けるのが定番でした。

歌詞の中で、甲斐よしひろは映画的情景を描写します。

「白いつきあかりの、その裏側で、僕は歪んだ顔を洗った。
白いつきあかりの、その裏側で、涙のかけらを洗い落した。」

夜に溶けていくネオンに、陽炎に揺らぐ街に、
甲斐よしひろは、人生の悲しみと喜びを連鎖させていきます。

体をひきつらせて、ハイトーンヴォイスを絞りだす声は
とても、切なく、心が揺れますね。
# by ukulele617 | 2010-06-06 10:56 | J-POPS

極私的名盤選集2

みんな去ってしまった 中島みゆき

極私的名盤選集2_d0165598_1425971.jpg

1. 雨が空を捨てる日は
2. 彼女の生き方
3. トラックに乗せて
4. 流浪の詩
5. 真直な線
6. 五才の頃
7. 冬を待つ季節
8. 夜風の中から
9. 03時
10. うそつきが好きよ
11. 妬いてる訳じゃないけれど
12. 忘れられるものならば

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モノクロのレコードジャケットの中島みゆきはうつむき加減で歩いています。
足もとで何かを選びながら歩いているのかな。
裏ジャケは、対照的に、膝を抱え、目を瞑り空を仰いでいる。

このアルバムが発売されたのは1976年10月。
僕は、オン・タイムでこのアルバムに引き寄せられるように購入しました。
これが中島みゆきとの出会いです。

デビューアルバム「私の声が聞こえますか」。
2作目の「みんな去ってしまった」 (※「みんないってしまった。。」と読みます)
3作目の「ありがとう」。
まで、を僕は中島みゆきクラッシック3部作と呼んでいます。

このあと「「愛していると云ってくれ」から大きく情念の世界に舵をきります。
そのあと、甲斐よしひろプロデュースの「36・5℃」に象徴されるように、
様々な実験的なアルバム(本人曰く、"ご乱心の時代"だそうです)が
連発されます。(このあたりのレコードセールスは低いものでした)

アレンジャーの瀬尾一三と出会うことにより、
バックの音楽がふくよかになり、ヒット作も生れます。
それまでの、振られ唄一辺倒から、人生の不条理などを歌うことにより
深みも増して、歌唱にも迫力が出てきました。
近年は「夜会」のウェイトが重く、夜会中心にCDが発売されています。

まあ、大きく、デビュー含め4回の転機があったのかなと考えています。


本人が、ラジオなどで語っていたのですが、最初は腹式呼吸が出来なかったそうなんです。
確かに、デビューアルバム時の声は安定していませんし、
この「みんな去ってしまった」も細い声をしています。
でも、この頃が一番よかったかなあ。。
最近の曲によっては、声を使い分けるテクニカルな歌い回しより、
なんとなくこのころの不安定さがいい。
だって、レコードのライナーノーツなんか読んでも、
本人はいたって不安でまわりのスタッフにもありがとうの連発。
まあ、デビュー一年目ですから。

このレコード評に関しては様々なブログヤアマゾンの口コミなんかを読みました。
データ―ベースに関しては、10年をかけて構築しているサイトもあるぐらいです。

でも、僕が思うのは、このアルバムに入っている曲を作曲したときの背景なんですよね。
北海道の帯広というところの、景色や、おもに冬の空気感や、道を歩く感触や、
木々の葉ずれの音や、温かい飲み物の美味しさ。
実際、札幌に行って「ミルク」という喫茶店を探し歩いたこともありましたし、
帯広にも行ってきました。
歩きながら、人が少ないなとか、道が真っ直ぐだな、とか、空気の冷たさが違うなとか思いました。
そういう体験や、レコード購入が10月ということもあり(昔の10月は寒かった!)
アルバムの印象は、肌寒い、人恋しい、うす曇り という感じです。
現在の中島みゆきのポピュラリティーな印象は皆無です。

18歳のころ、撞き動かされるように、衝動的に北海道に一人旅をしました。
今までの自分=弱い自分 とすれば、たった一人になれば、どうなるのだろうか、と。
殻を突き破るように、北へ北へ進んで行きました。
それは、自分自身を見つめる旅であり、未来は無限に感じました。

その後、春夏秋冬と4度の一人旅をしました。
一番長く滞在したのが厳冬期の1月半ばから2月後半の約1カ月。
怖いもの知らずで、流氷の上を歩き廻ったり、山奥深くの温泉まで、
雪の、けもの道を掻き分け歩き、胸まで雪に埋まってしまったこともありました。
今にして思えば、かなり無謀な旅であったのですが、
幸運なことに怪我の一つもせず、無事帰れたりしたものです。

何かが、見方してたかもしれないのですが、体を生かす本能みたいなものが働いたのか、
冷たい雨が降れば、無理せず、夜行列車に滞在しました。
強い風には向かって行きました。
まさに向かい風。
目的がありましたから。襟裳岬まで歩くと決めましたので。
着いてみると、強風の中誰もいない。
しばらくすると厳重な防寒具に身を包んだカップルが坂を上ってくるのが見えました。
襟裳岬の標識にしがみつき、必死の記念撮影をしました。
カップルの顔は見れなかったですね。二人ともゴーグルをしてましたし。
ヤッケでフードをかぶっていましたから。僕は、信じられないぐらいに軽装。
滑り止めの鉄を打ちつけた安いスニーカーと、ジーンズと厚地の長袖シャツに上着とマフラー。
マフラーは風で海に飛んでしまいました。

中島みゆきは”春夏秋は冬を待つ季節”と歌っています。
彼女は一人旅をしたどうかは、分からないですが、
「時代」が父親を亡くした時の哀切で作曲されたように
このアルバムの中の曲は衝動的に作曲されたような気がします。
ライナーノーツを書いた日は、雷雨であったそうです。

作曲はおそらくデビュー前で、(ストックは500を超えていたそうです)
録音された季節は夏から、秋になります。ジャケット写真もシャツ一枚ですね。

流浪(さすらい)の詩という曲があります。

「激しい雨の夜にママと長距離バスで街をでていく。。。」という唄なんですが、
ママというのは歌詞の3番で黒猫であることがわかります。

空で生れて、雲に抱かれる。
タンポポの花のように風に吹かれて飛んでいく人生。

自由であり、無限の可能性を感じる時代は誰にもあるでしょうが、
旅をすることにより、歌を歌うことにより、
足跡を残すというのは、記憶を消さずに心に置いてくれます。

そういうわけで、中島みゆきの歌は少しだけ自分の人生に重なるのです。
# by ukulele617 | 2010-05-30 01:53 | J-POPS

極私的名盤選集 1

Sand Castle 浜田省吾

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1. 君に会うまでは
2. 君の微笑
3. 散歩道
4. いつわりの日々
5. 愛という名のもとに
6. 朝のシルエット
7. 丘の上の愛
8. 片想い
9. 陽のあたる場所
10. 愛しい人へ

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 このアルバムを聞くと、決まって思い出すのが、夜の琵琶湖湖畔に車を止めて聴いていた事。
当時、大学生だった僕は、車の中で、友人の失恋話を聞かされていました。
目の前の湖畔の高層マンション(当時まだ少なかった)に住んでいる、
彼女との一部始終を話終えて彼が「最近、こういうのを聞いているよ」と
僕の車のカセットデッキにテープを入れたのが、このアルバムでした。

1曲目の「君に会うまでは」を除いて、全曲失恋ソングになっているのですが、
聴いているうちにまるで、自分が体験したかのように切なくなってくるのですね。
口にするには、恥ずかしいような歌詞も、浜省が唄うとキザでなくなります。
この10曲は、それぞれのオリジナルアルバムがあり、バラードとして、
録音し直したのがこのSand Castleになります。

佐藤準のストリングスが絶品で、浜省の声もすごく伸びて艶があるのですね。
佐藤準はアレンジャーや作曲家として有名なんです。
(おにゃん子の セーラー服を脱がさないでを作曲しています。
 最近では米倉涼子のドラマ交渉人も。。。)

1973年にChar、鳴瀬喜博(チョッパー奏法が有名な、あのナルチョです)、藤井章司(一風堂のドラマー)、金子マリ(下北のジャニスと異名をとります)と「SMOKY MEDICINE」を結成して一年で解散しています。
今考えればすごいメンバーですよね。

浜省の歌詞は極めて映像的です。
例えば、彼女と夜のデートをして、最終電車の時間が気になる男は、
彼女がそっと腕時計をポケットにしまうのを見た。
今夜は泊りだと確信したはずなのですが、
歌詞の中では、最終電車を二人で高架の上から見送った後の展開は書かれていなくて、
「愛したことはなかった。君に会うまでは」で終わらせています。

また、真夜中のドライブインから、彼女が電話をして来て、迎えに行ったりとか
彼女は自分との暮らしを捨てて出て行こうとするのですが、
始発電車が走りだし、町の灯りが消えてもまだ決断できないでいるとか、
男の為に作った食事が冷めていき、女はどんどん無口になっていくなど。。。
(いったい二人にはなにがあったのかは説明されない。。。。)
完全に男目線の、浜省の理想の恋愛像に共感する男のファンが自分に酔える音楽なのですね。

浜省はメディアにはほとんど出ないので、コアなファンかほとんど曲を知らない人に分かれます。

最初カセットで聴いた、このアルバムは、レコードで買い直し、CDで買い直し、
今は車のハードディスクに保存され、時々聴いています。

聴くたびに、ウォークマンで布団の中で連日聴いていたことを思い出し、
その度に根拠のない、せつなさが体中を駆け廻り、もしかしたら、自分のあの体験は、
この歌詞に近いものでないかと、自己都合勝手解釈で、朝起きてもまだ切なくて、
恋愛もしていないのに、それを引きずったまま学校行って、
あまり好きでもない女の子にボーっとなっていた気持ちを思い出します。

このアルバムで唄われている多くの曲は、女の子と暮らすところから始まる現実や不都合や、
別れについて、ドラマチックに唄われています。

1983年のアルバムですが、舞台は70年代です。
せつないのは懐かしさのせいでもあるのでしょうね。。。
# by ukulele617 | 2010-05-23 03:22 | J-POPS


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